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| 言葉における有と無 | 『筑波哲学』Nr.33 2025 | つくばリポジトリ |
| 対象認識と意味、表現の起源 | 『筑波哲学』Nr.31 2023 | つくばリポジトリ |
| 西田哲学を問う(2) | 『筑波哲学』Nr.30 2022 | つくばリポジトリ |
| 西田哲学を問う(1) | 『筑波哲学』Nr.29 2021 | つくばリポジトリ |
| 存在と時間 | 『筑波哲学』Nr.28 2020 | つくばリポジトリ |
| 存在と言葉 | 『筑波哲学』Nr.26 2018 | つくばリポジトリ |
| 西洋近現代思想と仏教 | virya 2016第11号 2016,11,27 | https://herzlich.boo.jp/wordpress/seiyo/ |
| 生き生きした現在における原初的事象とその捉えがたさについて | 2016,11,27 | https://herzlich.boo.jp/wordpress/jetzt-2/ |
| 「今」点における対象認識の可能性と矛盾の成立の可否について | 2012,09,01 | https://herzlich.boo.jp/wordpress/jetzt/ |
| 「今」把握を試みた二人の哲学者 | 2012,09,01 | https://herzlich.boo.jp/wordpress/zwei/ |
| 身体に触れる言語 | 2012,03,26 | https://herzlich.boo.jp/wordpress/shintai/ |
| フッサール現象学における純粋自我と超越論的自我 | 哲学・思想論叢第24号/筑波大学/2006 | |
| フッサール現象学における「自我」について | 哲学・思想論叢第22号/筑波大学/2004 | |
| 感覚素材としての原ヒュレーUrhyle | 哲学・思想論叢第21号/筑波大学/2003 | |
| 作用そのものの経験としての衝動的志向性 | 第24回,日本現象学会,2002,11,10 | https://herzlich.boo.jp/wordpress/triebintentionalitat/ |
| 感覚と志向的意識(能動的志向性と受動的志向性の同時的作動) | 哲学思想・論叢第20号(筑波大学哲学・思想学会)2002,01 | |
| 受動的領域における構成と「意味」の成立 | 第21回,日本現象学会,1999,11,14 | |
| 「全体」の生き生きした把握 | 筑波大学/哲学思想学会(第19回学術大会)1998,10,31 | |
| メタファーの運動(言葉と意味,2),Der Bewegung der Metapher | 第21回,現象学・解釈学研究会(1998,11,20) | https://herzlich.boo.jp/wordpress/bewegung/ |
| メタファーの生起(言葉と意味,1) | 第19回,現象学・解釈学研究会(1996,11,30) |