ビルケナウ(Auschwitz 2)
ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』を想起しながら館内をめぐる。
一日に一度、数秒のみ利用を許されたという排泄口。しかも、一つの穴につき、割り当ては3人。囚人たちは、夜中、食用として渡されたボールに排泄して、捨て、そして、そのボールに一日一回、パン一切れと、コーン一切れが混じっているか否かを楽しみにしたスープを受けたという。
館内には、一床に何人もが利用したという板張りのベッドがどこまでも続く。
最後に、ドイツ軍が撤退の際に証拠隠滅のためと爆破された施設を見て見学を終えることにした。
ドイツでは他の収容所も訪ねたが、
アウシュヴィッツ-ビルケナウ収容所のけた違いの規模には驚いた。
収容所まで長く長く続く線路。
退館後、
雪の中、ずいぶん暫くのあいだ、その線にそって歩いてみた。
列車内に閉じ込められ輸送された囚人の心境を想像しながら。
人が人生を問うのではなく、
人生が生きる意味を問うているのである。
この言葉は私に深く刻まれた。
そして、(生きる)意味は生涯の課題ともなった。
旅の初めにはクラクフに寄った。
最も目を引いたのは中央市場で、その中では小さな店舗が通路を挟んで軒を並べている。そのなかで、木彫りの人形が目に留まり、そのなかで老夫婦2体、悩めるキリスト像(?)
を買った。独り身の私にとってむつまじい老夫婦は一つの理想だったし、像がキリストを模した物なのかは不明だったが、キリストの内面を表現しているようで面白く感じた。それを見て、姉は、
「お前にそっくりだ」
と言っていた。
インフレなのか、シワだらけの紙幣は0がいくつも連なっていて、どれがどの金額を示しているのか分からない。手探っていると店員から、「それだ」と声が掛かった。
旧市街を隔てる大きな黒い門を潜りホテルへと向かおうとするとき、紳士から、
「どこから来ましたか?」と、
日本語で声が掛かった。思わず、笑みが浮かび、返事を返そうと思ったとき、紳士は消えていた。さらには、中学生くらいの男の子から、何やら話しかけられた。忘れてしまったが、何やら日本語のようだった。その内容も覚えていないのだが、少年とはしばらく会話が続いた。あまりに流暢で、初めはドイツ語を使ったが、興味が湧いて英語を交えてみたら、それでも会話が途切れることは無かった。とても頭の良い少年だと感嘆した。どのような大人になるのだろう、そんなことさえ思った。
ポーランドを出国するとき、また、官憲による審査を受けた。そのときも、何と言ったのか、ただ入国の時とは違って、そのときは毅然と対応した。
Entschuldigung
官憲の一人から拙いドイツ語が発せられた。
ベルリンに入ったとき、さながら故郷に帰ったような安堵感を抱いた。第二の故郷、そのような感慨だった。
列車を降り、私はホームで一度立ち止まり、大きな呼吸をした。



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