学ぶということ
決して豊かではない家庭に生まれ、
子どもの頃はなぜそんな家の子になったかと、
不思議で仕方がなかった
幼稚園の砂場で遊んでいたとき、
向いで砂山を懸命に積み上げては固めている園児の旋毛が
眼の前でぽっかりと浮かんだとき、
なぜ、私は私で、彼ではないのか、
ふと、
そんな疑問が浮かんだ
/
学ぶということは不可思議を発見する驚き、
そして、ときめきであり、
また、その謎を解く歓びである
/
進学女子高で倫理を教えていたとき、
なぜ、男の子がスカートめくりをするのか、
話題としたことがあった
雑談としては
あまり褒められたものではなかったかもしれないが、
大きな笑いが渦まいた
/
未知なるものへの関心、
それは、
確実に、
人生を豊かにする
/
私は、
自分が自分であること、
それ以前に
自分が、世界が、
「有る」ということ、
そんなことに関心をもった
/
昨年、
誘われて 何度か街歩きを共にした女性がいたが、
還暦を過ぎたら服はお洒落に、
と 批判を受けた
しかし、
いい物を、着たい、持ちたい、
そうしたことには気持ちが動かないから仕方がない
そんなことより、、、
/
ところで、
学んだことの証左は
言葉となって、人柄に現れる
/
カントは『エミール』を読んで、
人を尊敬することを学んだという
/
人に 好き嫌い、
合う、合わないがあるのは仕方がない
ただ大事なのは、
批判と嫌悪とを混同しないことで、
嫌悪のある場合は、
自身の品位を貶めないために、
その感情に正当性を与えなければならない
言葉に差別がないか、
言葉遣いにその意味合いを含んでいないか、
言葉を発するたび、
吟味しなければならない
/
言葉とは人(品)である
/
あるとき、
ラジオを聞いていたら、
宮台真司?なる人が、
「バカ親」と、
繰り返し連呼していた
大学教員らしいが、
聞いていて、
学問を生きている人ではないと思った
学に携わり、
学を生きるということは、
自らの「人間」を育てるということであり、
それは品位ある言葉となって現れる
/
ドイツ、フライブルクでホームステイし、
食卓に招かれたとき、
夫人は言った
「どこの国にも、いい人間と、悪い人間がいる」
過去の戦争で、
ドイツと日本とで同様の役割を演じてしまったことを
話題にしたときだった
/
強制収容所の犠牲者、ヴィクトール・フランクルは言う
人間は、
品位のある人間と、そうでない人間とに分かれる、と。
そして、どの組織にも
かならず、
この二種類の人間がいる、と
/
最近の日本では
権力の世界で 数多、
品位を欠いた人間が目立つ
そうした傾向は
過去の戦争責任の取り方に起因していると、
そう言ったのは、
深夜、討論番組の司会者ではなかったか
/
砂場の君は言った
帰ったら、また、遊びに来よう
ぜったい、ぜったい、ぜったいだよ
帰宅後、
私は、 ずいぶんと長い間、
午睡に入ったふりをして、
片目を開け、 興奮を抑えながら、
ようやく 買物に出かける母を見送り、
午後の曳航を試みた
息は途切れに途切れた
園児にとってみれば、
その道のりには
異国にまで及ぶかのような気概を要した
/
しかし、
辿り着いてみれば、
門は固く閉ざされ、
教師を初め、
人陰さえ見当たらなかった
私は、場に相応しくない自らに気づき、
一日千秋の思いで
約定の時を待ったが、
待人は来なかった
/
翌日、
眼前に
屈託のない満面の笑顔が
まばゆいほどの明るい陽射しのなかにあった
/
光を浴びる人生が
必ずしも
いい生き方とは限らない
31,Aug,2024
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