Yの継ぎ
「⋯⋯でも、性には憧れてる」
当時高校生であった私は、アルバイト先で知り合ったYに言った。Yも私と同じように短期間の労働者に過ぎなかったので、私たちはすぐに親しくなることが出来た。
「彼女を作ればいいんだよ。そうやって、俺も飽きるほどやったよ。でも、女って、俺のように定職のない男からは去っていってしまうんだよな」
「⋯⋯」
「⋯さて、俺は練習があるから、これで失敬するよ」
そう言い残して、コートを丸めて左腕に抱え、Yは喫茶店から出て行ってしまった。Yは俳優養成所に通っていた。彼の正確な齢は分からなかったが、顔立ちからは三十路を越えているように私には見えた。
人込みに消えてゆくYの姿をぼんやり眺めながら、私は彼のズボンに大きな継ぎのあるのを知った。
私は失笑してしまった。
そのときから、「Yの継ぎ」は私には忘れられない鮮やかな記憶となった。
継ぎを見て、どうして笑ってしまったのか、当時の私には理解できなかった。彼の磊落な性格には少なくとも魅了されていたのだし、失笑とは言っても、かえって、それは、彼への好感という感情が引き起こした悪戯のようにも思われた。彼の貧しさを笑ったのではないことだけは確かだった。
Nとの交際はその後しばらく続いた。人一倍自負心の強かった私がたいした軋轢を起こすこともなくその友誼を維持することができたのは、おそらくは彼が私を歳下の故をもって差別することもなく、適当な敬意を払ってくれていたからであったと思う。
「ひさびさに高校生と話して孤独が紛れたよ」と言ったYの表情には深い思い入れが感じられた。
ある日、Yの所属する劇団の公演が終わった後で、私は彼と会った。彼は、「このまえ、芝居を見てくれた人が、本職は何をやっているのかなんて訊くんだよ。俺、嫌になっちゃったよ」と、誰にともなく言った。私は心密かに小さな微笑を作った。
いにしえに、保証は一切の終わりと言った人がいる。生活の安定が人間の克己心を削ぐといったような意味なのだろうが、確かに決まった仕事も持たずに、人生を或る事柄に賭けるということには勇気が要る。ましてや、Yのように光沢を放つような瞳とともに生きている者に対しては、なんらの批評も必要がないのかもしれない。そう思った。
「悪かったね。勘違いをしていて。⋯⋯明日来ると思っていたから、係りの者にも言っておかなかったんだ。それに、明日だったら俺の出番もあったんだけど」
煙草を呑み終えてから、Yはしきりに切符のことを詫びてくれた。本当なら、私は彼の最良でかなりの値引きで切符を手に入れられるはずであった。加えて、彼の役割は輪番になっていて、結局その日は彼の演技を見ることはできなかった。私は気にしないように言ったが、有体を言えば、この小さな出来事からは大きな失望を与えられた。
私はもともと芝居というものにはそれほど興味を持っていなかった。表現があまりに肉体的で、精神を感じることが少ないからだ。ただYへの義理と情が、私が劇場へと誘なっていた。だから、彼の約束の不履行は私には取り繕つくろいの効かない背反のように思われた。
その後、Yとは久しく会っていない。しかし、今でも彼は時折私の記憶に現れる。必ず継ぎの入ったズボンを穿はいて。
Yと遠くなったのは私の狭量からではあろうが、私はとりたててそのことを後悔してはいない。親しすぎるところからは何も生まれないだろうし、私は謎のまったくない人間から魅力を感じることはないからだ。Yの背反は私から彼への関心を奪ってしまったが、ズボンの継ぎは依然として不可解な瑣事である。
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