「則天去私」と個人主義


 現世のうちにある「生」が人との軋轢(あつれき)を起こすことなく自らの欲求に従って生きたいと願うとき、混沌とした俗世の彼岸に理想的な「我」を追究しない訳にはいかない。そんな思念を抱いている私にとって、夏目漱石は常に気に掛かる存在である。醜悪なる「エゴイズム」への忌避は対立する概念としての「則天去私」という理想を産んだ。だが、それは一体どのような性格を有するのか.理想とする在り方を定義づけるものなのか。そもそも、「私」(エゴイズム)が希求する「天」とはどのように理解されるべきなのか。私は漱石研究家ではないが、「生きる」という視点に立った関心として気の赴くままを述べてみたいと思う。

 夏目が生涯に渡って学と思惟に費やした労力は人並みではなかった。時に気力が枯れてしまうと鼻毛を抜いて机上に並べていたと伝え聞くが、彼はおそらくは凡俗な愉楽とは無緑であった。知識で満たされた碩学(せきがく)にとって教養を欠いた(やから)がただの侮蔑の対象として映ることは無理からぬことであった。『我輩は猫である』、『坊ちゃん』では「鼻子夫人」、「赤シャツ」など登場人物に風変わりな渾名(あだな)を付与することによって、そして、その人物を茶化すことによって世俗的で凡庸な人間像を映し出した。活字だけを追えば傑作には違いないこれら作品の根底にもし夏目のユーモアが流れていなかったら、内容は陰惨なものになっていたであろう。彼の人間への軽蔑には養父である塩原との関係が働いていることも考慮しなければならないであろう。

 人間のエゴイズムが衝突するところに健全たる社会の形成される道理がない。学的信念に裏付けられた高踏的(こうとうてき)意識をもつ人間にとって(ちまた)を浮薄な「自我」が徘徊しているのは耐え難いことであった。しかし、そんな心的認識をもつ主体もまた同様に「自我」を負っている。中期に至って、夏目の関心は 「他」から自己なる内的世界へと移った。夏目にとっては他人を揶揄(やゆ)し、茶化している自我(エゴイズム)こそが実は批判されるべきであった。自己愛を人間にとっては必然のものとして前提するとき、「人間」に対して誠実でありたいと願う倫理的欲求との非両立性に人は呻吟せざるをえない。そうした煩悶(はんもん)は『行人』、『心』に見事に描き出されているが、自己愛を保ちつつ、人と軋轢を起こさない。しかも、それが全体として自らの安寧(あんねい)(放下(ほうげ))とならなければならない。それが夏目にとっての課題となるが、果たしてそうした境地が彼の最後の作品である『明暗』のうちに読み取ることはできるだろうか。

 『明暗』で主人公を務める津田の清子への思いはかねてより心に纏わりついているものであり、何某かの方法によって払拭(ふっしょく)しなければならないものであった。救いを与えるものとして、清子を「天」として性格づけることもできる。つまり、聖女である清子への愛に忘我を重ねるのである。ドストエフスキーが『罪と罰』でラスコーリニコフにソーニャの膝を抱擁(ほうよう)させたように、ゲーテが『若きヴェルターの悩み』を通して口ッテヘの熱い思慕を表現したように、純真なる男が聖なる女性に救済の方途を求めるということは不自然なことではない。しかし、津田は清子に対して一途というわけではなく、やっと叶ったかとも思えた邂逅(かいこう)にも、直面してためらう。聖女思想を「明暗」に当て()めることは不可能ではないが、それが津田の逡巡(しゅんじゅん)に投影された夏目漱石という人物にそのまましっくり馴染(なじ)むとは思えないのである。あまつさえ、「天」を「聖女」もしくは「愛」と性格づけて忘我の手段とすることで、エゴに関する十全な考察をしたとは言えないだろう。津田の「お前に人格という意味が解るか。(たか)が女学校を卒業した位で、・・・」(百二)というお秀に対する罵倒(ばとう)には自我への強い執着が伺いしれる。その意味で津田が清子に愛を感じているとすれば、それは決してロシア文学で描かれているような「与える愛」ではなかった。津田は自らの尊厳と体面に拘泥(こうでい)し、人から愚弄(ぐろう)されることを畏怖(いふ)している。例えば、津田を揶揄(やゆ)して止まない小林が、彼から無心した金を彼の見知らぬ貧しい青年芸術家に道徳の名の下に与えてしまう場面がある。それをみて津田は、「此奴等二人は共謀になって先刻から俺を馬鹿にしているんじゃないか」(百六十六)と(いぶか)う。彼はプライドをひどく損なうのである。ちなみに、そうした性癖は津田の細君であるお延をも支配している。彼女は津田としっくりいかないことに苦患し、男に対する腕を有っていないと自覚することを怖れている(四十七参照)。ときに小康を得ながらも夫婦が打ち解けないのは、つまるところ二人が矜持(きょうじ)に支配されているからにほかならない。彼らのそうした有様(ありよう)をお秀は「……よござんすか。あなた方お二人は御自分達の事より外に何にも考えていらっしゃらない方だという事なんです。……」(百九)と評している。それぞれが自分の想いを強くしているところから生じる軋轢(あつれき)が彼ら夫婦を限界づけている。作中の人物が「自我」を負っているというモチーフは、『行人』においてなお一層鮮烈である。一郎の強い衿持は、夫婦の関係をやはり逸したものにしている。直(一郎の妻、そして二郎の嫂)は彼女自身に言わせると「府抜」なのだが(兄、三十一)、二郎は彼女について、「此方が積極的に進むとまるで暖簾の様に抵抗がなかった」(兄、三十八)というような感想を抱いている。直はまた、「本に出るか芝居で遣るか知らないが、(あたし)ゃ真剣にそう考えてるのよ。……一所に飛び込んで御目に懸けましょうか」(兄、三十七)という発言を唐突にするような不可解さを持っている(一郎への満たされぬ想いが彼と二人きりになることによって高じたのだろうか、それとも夏目自身の願望する女性像がここに描かれているのだろうか。とにかく全体の構成を考えてみても、この台詞(せりふ)は作品に溶け込んでいないように思える)。言葉(すく)ない冷静な直に、頑是無(がんぜな)い娘である芳江は二郎にとっては不思議なくらいよく馴付いている(帰ってから、三)。母子なのでそれは当然とも受け取れようが、直のどこか人を魅了する所があるのは、『明暗』での清子と似ている。津田は清子に詰問するが、彼女はそれに柔軟に対応して掴み所がない。清子もまた暖簾のようである。たとえば、「予定なんかまるでないのよ。宅から電報が来れば、今日にでも帰らなくちゃならないわ」(百八十八)と述べているように清子は我執を断った人であり、流されるということを厭わない。津田が再会の際に清子が青ざめたように見えたのを取り上げ、その事実の有無を尋ねると、清子は、「貴方が蒼くなったと仰しゃれば、それに違いないわ」(百八十七)と答える。また、「……ただ昨夕はああで、今朝はこうなの……」(同)、「……どうしたって事実を取り消す訳にはいかないんですもの」(百八十六)というような台詞は清子の人品をよく表わしていると思えるが、それが津田をして、「相変わらず貴女は何時でも苦がなさそうで結構ですね」(百八十四)と言わしめている。清子は「事実」をありのまま認容する能力を持ち合わせた人であり、それがために津田に言わせるなら苦とは無縁である。自らへの執着が事実を曲解せしめ、それが苦の原因になるとする仏教思想を視点とするなら、清子は「無明(むみょう)(無知)」を脱し無我の状態に立っていると考えられる。夏目は晩年に至って仏教思想の影響を受けていたと聞くが、清子は登場人物というよりは仏教思想の体現としてあり、それがゆえに(つか)みどころがない。固定した捉え方が出来るとすれば、それはすでに柔軟を失った執着心に他ならなくなってしまう。清子のそんな在り方を「則天去私」における「天」の境地として性格づけることは出来ないだろうか。『天』は執着心の彼岸である。

そうした(あり)(よう)は老子を通して眺めることもできよう。老子は「嬰児は水のごとし」と述べ、子どもを「無為自然」に近いものとしたが、芳江が直になついているのは子どもであるがゆえになされる自然な呼応である。一郎においては、「……つまり、人間と合わないので、己を得ず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」(『行人』帰ってから、六)という疑念を二郎に呈している。一郎は矜持を持ちつつも、それが好ましいものと考えている訳ではない。

「己は講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。然し講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心の人間らしい心持を人間らしく満足させることが出来なくなってしまったのだ。でなければ先方で満足させてくれる事が出来なくなったのだ」 (帰ってから、五)、

「……二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」(同)

こうした一郎の言葉の裏に、「私はこんなに知識を有ち、遊惰に陥ることなく生きてい

るのにどうして人は理解しない」といったような呪誼が隠されているような気がしてならない。そこに夏目自身の孤高の悩みが覗いている。その根底を支えているのは一郎の友人であるHさんに言わしめた「真面目」である。一郎にとって「自我」は自らの拠り所であると同時に世間に溶けない硬くて厄介な代物である。

ここで少しばかり視点を変えてみたい。津田は吉川の奥さんが何故津田の見舞いに来たのか漠然とした疑を抱くお延に(かん)(さく)を巡らす。それが成功したのを知って彼は、「畢竟(ひっきょう)女は慰撫し易いものである」(『明暗』百五十)と悟る。今迄述べてきた自己否定への理想とは矛盾するような台詞だが、その比較のうちに複雑な「自我」の(あり)(よう)を推察することが出来る。『私の個人主義』のなかには、

「世界に共通な正直という徳義を重んずる鮎から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです」とか、

「私はそれから文藝に對する自己の立脚地を堅めるため、……一口でいふと、自己本位といふ四字を漸く考へて、其自己本位を立證する為に、化學的な研究やら哲學的の思索に耽り出したのであります」

というような記述がある。ここからは夏目が「自我」を却って肯定していたということが分かる。とすれば、「則天去私」において去るべき「私」とは一体何なのか。清子の事実を受容する態度は仏教思想と同等であるということを前述した。しかし、仏教は自我への執着を捨て去ることを本義とする。ここで、「天」の解釈は再び的確さを欠くことになる。夏目が日本の急速な西欧化を嫌悪し、また英文学の神髄を理解できずに神経衰弱に陥ったというのは周知の事実である。西欧化は日本人固有の精神性をも狂わし、西洋人のいふ事だと云えば何でも蚊でも盲従して威張る」(『私の個人主義』)人間を至る所に作りだし、「自我とか自覺とか唱へていくら自分の勝手な眞似をしても構はないといふ」(『同』)風潮を産んだ。夏目が否定する「自我」とは斯かる種類の「自我」であり、彼自身に言わせるなら「彼等は自分の自我を飽迄尊重するやうな事を云ひながら、他人の自我に至っては毫も認めてゐない」 (同)ような自我なのである。個性の発展のために他人の個性を尊重できるような自我を夏目漱石は却って唱道しているのである。彼は、肯定されるべき「自我」には自由が保証されていなければならないが、それが義務を伴っているとき彼は真の個人主義があると述べている。ちなみに、自他を等しく尊重するという夏目の思想は、互いの人格を手段ではなく目的として扱えとするカントの「目的の王国」論を想起させる。そうした理念を掲げながらカントが神の存在を決して否定したわけではないことから、夏目の個人主義と天を類推して(うべな)うことはできよう。

夏目の語る「私」はどうやら全的自我を意味するものではないようである。「私の個人主義」講演と『明暗』執筆の間には二年間の隔たりがある。その間に夏目の心境に劇的変化があったのかどうか、漱石研究者ではない私は知らない。しかし、同じ土俵で語ることがもし許容されるなら、夏目の「私」は一義的でないということは結論されるのではないか。天は、森三樹三郎によれば、「超越的な人格神」とか、「自然現象に内在する法則」(『老荘と仏教』法蔵館)などと定義づけられるそうだが、いずれにせよ中国思想において最高の原理であったには違いない。そうしたものを前にして自我は「無」として与えられることが自然である。二つの相容れない関係のなかで、夏目の欲求と理想は揺れ動いていたように思われる。

(一九八七年七月)

 

※この拙論は、。夏目漱石の作品を読んで私が抱いた素朴な感想をありのまま述べたもので、高校三年次の倫理選択授業で教材として使ってもみました。もしよかったら、ご意見、ご感想をお寄せください。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP