ソクラテス、その後


ソクラテス、その後

於・一一八八年九月一八日(日)

東京都立狛江高等学校公孫樹祭

配 役

ソクラテス 秦 一夫(英語科)

高校生 崎山智明(生徒有志)

市長 湊本敏江(演劇部)

助役 西村はまな(演劇部)

職員 野村裕美(演劇部)

先生 伊藤)貴子(演劇部

女生徒A 佐野香織(演劇部

女生徒B 今井正子(演劇部)

池辺さん 池辺一男(理科)

D 佐野大介(生徒有志)

E 佐々木利幸(社会科)

通行人 大石 隆(数学科)

陶芸家 佐藤幸三(社会科)

照明 米山吏佳(理科)

照明 榎本則子(演劇部)

照明 室伏寿美(演劇部)

音響 水野欣爾(理科)

ソクラテス (舞台中央で寝ている。起き上がりながら)

んー、いったい、ここは何処なんだ。わしは今まで何をしていたという

んだろう。

(辺りを見回しながら、舞台の右後ろ、左後ろまで覗きに行く)

高校生   (左後ろから現われる。ソクラテスと肩がぶつかり、ソクラテス倒れる)

おっと、おじいさん、ごめんね。

ソクラテス (起き上がれず、手を伸ばしながらうめく)

う、うん・・・。

高校生  大丈夫?ちっ、まいったなあ。今日も遅刻か。まだ、入学式から三日しか

経っていないっていうのに。・・・もう十日も遅刻しちまったよ。あれ?

ソクラテス おい、なにやらぶつぶつ言っている君は、誰だ。

高校生  誰って、僕は高校生のなかでは今どき珍しくガムを噛んだことのない由緒正し

い高校生です。(襟を正しながら)

ソクラテス 高校生?ガム?

高校生  おじいさん、やだな、ガムを知らないの?

(ポケットからガムを取り出す)

これをこうやって噛むとね、口臭が消えるから和泉多摩川駅前で特別唐辛子入

りのテグタンラーメンだって食えるしね。それに、嫌いなやつにはこうやって、

(ポケットからガムを取り出して丸め、ソクラテスにねばそうとする)

えんがちょだって出来るんだよ。

ソクラテス わしはパンと葡萄酒しか食したことがないが。

高校生   遅れてる!

ソクラテス それに高校とはなんなんだ?そもそもここは何処なんじや。

高校生     高校も知らないなんて。貴方はひょっとして、変なおじさんでは

ありませんか?・・・ねぇ、変なおじさん。

ここはその高校、狛江高校というところの体育館なんですよ。

ソクラテス (一人で首をかしげながらぶつぶつ言う)

狛江高校って、親孝行の親戚だろうか。

高校生    (ソクラテスの顔を覗き込む) わっ!

ソクラテス わっ、びっくりした。

高校生    自由な学校でいいよ。休み時間にスリッパのまま外に出ると怒鳴る先生がいるけど

人畜無害だしね。夏になれば、多摩川で泳ぐことだってできるんだよ。

秋は秋でお祭りがあるでしょ。おかげで僕たちゃ、プッツン、

ソクラテス ああ。胃が痛い。(胃を押えながらよろめく)

高校生     だけど、心配しなくたっていいよ。僕だって将来のこと、きちっと心配しているしね。

河合塾の模試だって受けてるからさ、・・・ほらっ、これ、会員証。

ソクラテス ああ、いったい、この世は何なんだ。まるで浜松名産うなぎパイを福神漬でまぶして油  

 虫でいためたようだ。

高校生     おじいさん。どうしたの?まだ一日が始まったばっかしだよ。

 うなぎパイは夜のお菓子だよ。それとも酔っ払って前後の見境がなくなったの?

ソクラテス これ、高校生とやら。わしは世間を見てみたくなった。

  ちょこっと、わしを連れて旅に出てみてくれんか。

高校生     えっ、たまんないなあ。旅だなんて簡単に言うけど、夕方までには帰らないと お母さん 

  に叱られるしなあ。そうしたら、おやつだって食べられなくなるしなぁ

……しかし、まあ。十分遅れんのも、八時間遅れんのも同じだから、暇潰しと思って付き合ってや

  るか。一体何処に行きたいの?

ソクラテス  んー、そうだなあ。

(ソクラテスぶつぶつ言いながら退場。高校生彼を伺うようにして付いていく)

政治家      言ってしまうとね、わしは頭も才能もない。ただ詭弁を弄して人に信じさせるのが得意 

 だったから政治家になった。実際、善の心を持たずしても金儲けができるのは政治家、弁護士、

 医師と決まっておるからね。君はそうは思わんかね。

弁護士    いや、私達弁護士と政冶家を一諸にはしないで欲しいね。なんと言ったって弁護士は

 弱い人の味方だからね。なにより君たちと違って弁護士は人の心に耳を傾ける器があるんじゃよ

医師    それは政治家の偏見だね。医者に頭と親の投資は必要だからね。

・・・政治家は金儲けのためなら黒を白にだってするというじゃないか

政治家   (困った顧付きをしなから)

  さて、黒を白にしてしまうのは弁護士の得意技じゃなかったかな。だから、

  腹のなかは黒が溜っているっていう噂だぞ。

   (弁護士を下から覗き込みながら) わしたちは君たちのようにだな、罪を犯した者でも無罪にし 

  てしまうというような、そんなソフィストのような真似はしないぞ。 

医者    はっはっは。君たちはふたりとも偉大な嘘の発明家だ。

弁護士   いや、黒は黒と決まっているものではない。そこに白の可能性を見出すのは

 並大抵ではないぞ。それにしても、我々は法を遵守 いているのであって、

 政治家のように違法な金儲けなどしとらんからね。

政治家   わしらの特殊技能

弁護士   どんな?

政治家   政治献金を受け取って仕事を与える。パー券売って、選挙資金を集める。

弁護士   ふん、それでいて子どもたちには道徳教育の強化とかなんとか言って、

  高校生がパーティ券を売ったりすると取り締まったりするのか。

  その道徳の無さはほとんど芸術だね。おへそがコカコーラを沸かすってなもんだ。

医者    はっはっは、良心的なのは医者だけだね。

政治家   さても、どんなものだか。

医者    なに?

政治家   最近の医術は仁術ではなくて算術だというではないか。

医者    うっ。(手を喉に当て、息を詰まらせる)

弁護士   そうだ、そうだ。所沢富士見産婦人科病院を見てみろ。必要もないのに手術をして、金

 儲けをして。命を預かってる分だけ罪が重たいってもんだ。

政治家   そうだ、必要もないのに薬づけをしているのが医者だ。わしは松前漬けは好きだが、薬

 づけは好かんぞ。まったく、貴様らに稼がせるためにわしらは税金をせっせとたくしているよう

 なもんだ。(自分の世界に没頭する様子で)あっちから酒税を取り、こっちから揮発油税を取

 り。えっ?お米に税を掛けろって?、 君たち、農民様はわしらに投票してくれる神様だよ。ひえ

 っ、―、くわばら、くわばら。

医者    薬は患者のためさ、まあ、私達の生活のためでもあるが・・・。

政治家   ふん、薬漬け。

弁護士   そうだ、お前なんぞ、お茶漬けの代わりに薬づけでご飯でも食べてなさい

( 場面は代わって市役所のなか、市長、助役、職員と続けて登場)

助役   そろそろご決断をお願いします。

市長   その前に「市長」と言ってくれんかね。

助役   市長!そろそろご決断をお願いします。

職員   貴方、そんなに自分が市長だということをアピールしたいんですか?市長!

助役   そう。だったら、ご自分で「私は市長だが、……」と言ったらいいじゃないですか、市

 長!

市長   いや、私は自分では市長とは言いたくないんだ。

職員   じゃあ、どうして市長だと言わせるんですか?市長。

市長   ( 語気荒く) 自分では市長とは言いたくないんだ!

職員   この人はいったい何を言っているのかな?

市長   分からんかな。私は自分では市長とは言わんが、人には「ああ、この人は市長

 さんなんだな」って、いつも思われていたい市長なんだよ。・・・分かったら後ろからそっと付 

 いてきなさい。

ソクラテス  ああ、目まいがしそうだ。彼らはいったい何を言い争っているのかね。

高校生   ええ、最初の彼らはそれぞれ代議士、弁護士、医師を職業としている人々で、三つの名

 士とか言われて、現代では最も金を持ち、尊敬を集めている人達ですよ。後の方は、お役所とい 

 う所に勤めていて、税金で生活しながら首にもならないので仕事中でも新聞を読んだりしてる呑

 気な人たちです。

ソクラテス 哲学者は何処に行ってしまったのか。

高校生   それ、なんですか。

ソクラテス ( 熱気を帯びながら) ギリシャで真理を求め続けた、あの美しくも賢い人生の教師たち

 じゃよ。

高校生   さあ、教師などというつまらんもんはごみ箱でも漁ってみなさいというもんです。代り

 に、少年ジャンプが拾えるかもしれないけど。

(ごみ箱に近づき、派手にごみを投げ上げて)

あっ、あった!

(読み始める)・・・うん、こっちの方がよっぽど面白い。

ソクラテス ああ、息が詰まる思いだ。

高校生     ところで、おじさんは誰なんです?

ソクラテス 誰って、わしはかの有名な、岩波文庫にもなった、あのソクラテスじゃよ。

高校生     ソクラテス? うちのテレビならクイントリックスだよ。

ソクラテス テレビ?それはなんじゃ!わしはそのようなものではない。

高校生   イカルスの星なら知ってるけど、いったい誰が有名だなんて決めたんです?

何日の何時、何分。

ソクラテス さても君は「悪法も法なり」というの教科書にも出ているあの言葉を知らんのか、 わ

しは高慢なギリシャの民にヽ真実に即して生きることを訴え、そして、それが故に扇動の汚名を

 受け、毒杯をあおったのじゃよ。( 自己陶酔しながら)

 ああ、かつて、こんな美しい生き方があっただろうか。

高校生    今の世にマジなんてダサイしね。そんなものが居たなんて正直いって信じられない

 よ。では、訊きますけどね、マンガ、ロックにチューインガム、バイクに乗って、つまり楽しく

 生きて、なにがいけないの?

ソクラテス  さても、そんな軽薄な生活も過去の人々の真面目な努力と苦労のうえに

  築かれてきたのだと気付かないとは情けない。

高校生    そんなに言うんだったら、じゃあ、僕に、おじさんが言うところの重たいやつってい

 うのを見せてくださいよ。

( 高校生、ソクラテスとも重たい物を抱える格好をしながら)

ソクラテス  そうじゃな、わしもそれを尋ね歩いてみたい気分になった。この現代にはた

  して真実があるのか、善が行なわれているのか’そして、美が見い出せるのか。

先生   (高校生が散らかしたごみを拾いながら登場)

高校生   まずい。

ソクラテス どうかしたのかね?

高校生   僕が学校をさぼっているってことは内緒ですよ。

ソクラテス だから、その学校とは何なんだ。

高校生   そうか、貴方は過去から来た人だから、学校というものを知らなかったんですね。 学

  校というのは、同じ一年間の間に生まれた、・・・ええ、そのこと自体も考えてみれば随分し

  ゃくし定規ですがね、だって、そうでしょ、

  歳とともに みんな同じ様に成長するなんて誰が考えたんです?

  皆がレールに沿って決まったように育たなければならないなんていったい誰が決めたんです 

  か、まあ、学校とは、同じ年に生れた者同志を集めて同じように育て、同じような考えを持つ

  ように調教するおぞましい所なんです。

  個性なんて、あったもんじゃない。あっ、先生と呼ばれる人がやって来ました。物陰に隠れて

  ください。( 物陰に潜み、先生の様子を伺う)

先生   (登場しながら)あっ、ここにもごみが落ちている。学校を奇麗にしたら、

 それだけ勉強にも身が入るだろうに。環境の汚濁にどうしてこんなにも無神経でいられるんだろ

 う、不思議だなぁ(首をかしげる)

女生徒A  (駆け寄ってきて先生の肩を叩く)先生、何をしてるの?

先生    ああ、君か、びっくりした。きちんと勉強してるか?

女生徒A  なに言ってるの、もう、先生っていうのは決まった事しか言わないんだから。みんなこ

  れから後夜祭が始まるからって楽しみにしているのよ。

先生  まあ、生徒会長の鈴木君があんなに頑張ったんだから、少しくらいはめを外

   してもいいだろう。だけど、いいかい、ほんのわずかだよ。 

   それも人生とい うレールを踏み外さないようにね。

女生徒A  そんな、いかにも先生みたいなこと、言わないで。

先生    私は、先生だよ。

女生徒A  そんな、真面目なことばっかし言ってるから幾つにもなっても結婚できない

  のよ。ねっ、一緒に楽しみましょうよ。(先生の手を引っ張る)

先生 (手をふりほどき)あっ、ちょっと待って、ゴミが落ちている。

  (再びごみを拾う・生徒が上履きを履いているのに気づき、指差しながら)

  おい、体育館で上履きを履いちゃいけないって、あれほど、言ってるだろう。

女生徒A  だって、盗まれちゃったのお。

先生    安易な言い訳ばかり考えて生きていくことに、人間はいつかは疲れるものだが。

女生徒A  それでもいいの。

先生    さあ、代わりを貸して上げるから、職員室までいらっしゃい。

女生徒A  後夜祭はどうなるの?

先生    規律ある服装に規律ある生活が宿る。

女生徒A  公孫樹祭はどうするの?

先生    けじめある態度にけじめある精神。

女生徒A  後片づけはどうするの?

先生    いつも身ぎれい。いつも整頓。

女生徒A  つまんな~い。

先生    嫌われてもいい。たくましく育ってほしい。

女生徒A  楽しくな~い。

先生    先生は君たちの将来を思っていっているんだよ。先生は給料が安いからって、そんな文 

  句は一回だって言ったことはないんだ。

女生徒A  そんなの知らないわ。

女生徒B (駆け寄ってきて)どうしたの?

女生徒A  文化祭を楽しもうっていってるのに、先生が蝿みたいにまとわりついてうるさいの。 

先生    こら、蝿とはなんだ。蝿とは。せめて天道虫ぐらいにしろ。天道虫は金持ちだと言うだ

     ろ。

女生徒B  それを言うなら、黄金虫は金持ちだ~です。

先生    そうか、しかし、それも小さなことだ。あっ、ごみが落ちている。

 (ふたたび 屈みこんでごみを拾う)

  あっ、あそこにも

(だんだん退いてゆき、やがて退場)

女生徒A  待って。後夜祭はどうするの? (先生を追い掛けていき退場)

女生徒B (客席にむかって)やれやれ、訳の分からない話だ。

高校生   今井さん。

女生徒B  あっ、崎山君。こんな所で何をしてるの?暗闇なんかに隠れて、まるで覗き魔みたい。

高校生   そういう趣味はないよ。

女性とB  じゃあ、そこで空を飛ぶ練習でもしていたっていうの?

高校生   俺は今話題の皇居のお堀のカルガモじゃないよ。

女生徒B  貴方の正体がカルガモだったら楽しいのに。

高校生   冗談じゃない、変なこと言う女だなあ。

女生徒B  あら、ある人の正体が実は人間じゃなくて、夜になると人知れず、飛んで

  自分の星に帰るなんて、・・・想像しただけでも夢があって楽しいんじゃない?もし、そんな 

  風に正体を明かされても、それが嘘だなんて誰にも言えないんだし。

高校生   けったいな女だなあ。君、いつもそんなこと考えてるの?

女生徒B  あらっ、ちょっと想像力がたくましいだけ。わたし、夢見る乙女よ。

高校生   ところで、そんなことより、今、大変なんだ。

女生徒B  何か?

高校生   うん、とっても変わったおじいさんに捕まっちゃってね。どうも、自分を

  ソクラテスとかいう人の再来だと思い込んじゃってるようなんだ。

女生徒B  へえーっ、なんて夢のある話。メルヘンだわ。

高校生   ああ、そう。だけど、それで済むんならまだしも、現代における真、善、美

  を見せてくれといって聞かないんだ。

ソクラテス  これ、青年。

高校生    あっ、ほっぽいといてしまって、すいませんね。なんですか?

ソクラテス  今のは何なんだ。

高校生    ええ、さっきも言いましたけど、今のが学校の先生といってね、知識を与えることを 

 商売にしている人たちなんです。まあ、政治家、弁護士、医者にしても同じですが、この世では

 金を取って威張っている人達を先生というのです。まあ、いろんな人が居るけど、なかには人格

 を疑いたくなるようなヤカラも居ますね。それは、もう、火気厳禁、割れ物注意、取扱注意って

 感じでね。そういう人は夢や理想について生徒に語りかけます。

 自分が道徳をしょって立っているというような顔付きをして。そのくせ、夜になると、酔っ払っ

 て、街中をうろついているって噂ですよ。

ソクラテス  まるで、ソフィストだな。

高校生    ソフィストってな~に?ソフトクリームみたいに甘いもの?

女生徒B   しょせん、貴方はその程度。

ソクラテス  と言うと、この夜に道徳は存在しないというのか。

女生徒B   ええ、今は地上げ屋と呼ばれているような人たちず、はびこっていて、

  右も左も金、金、金ばっかし世の中なんです。

  道徳なんて古臭い言葉、どこにも落ちてやしないわ。学校に「倫理」っていう訳の分からない

  授業があるくらいで。

高校生    そう、たまに寄付するなんてことをする奇特な人がいたりすると、

  新聞なんかに載ったりしてね。

女生徒B   人に施しをできる人とできない人がいるということ自体が社会の矛盾だわ。

高校生    でも、おまえ、お金持ちと結婚したいって言ってたじゃないか。

女生徒B   そりゃ、無いより、あったほうがいいに決まってるわ。

ソクラテス  ああ、なんて悲惨な話だ。

(脆いて頭を抱える)できるだけ多くの金銭を手にしたいというのか

高校生    ソクラテスさん、そりゃそうですよ。今の時代に銭抜きの話をしたって無理ってもん

  です。金のうごめく世界でみんなアップアップしてるんですから。

ソクラテス   少年よ、大志を抱けって、昔から言うではないか。夢をもって

  おおらかに生きよ、おおらかに。

高校生     大志を抱くより、ドラゴンクエスト3 を抱いた方がよっぽど楽しいってもんです

  よ。ドラゴンクエスト3 .

女生徒B  社会を固いカラで覆ってしまって、その中身を鋼鉄の歯車で機械仕掛けにし

  てしまって、その型にはめて、子どもたちから人間らしさを奪ってしまった

  のは、ほかならぬ、大人たちじゃないですか。

崎山君、行こう。行って文化祭を楽しみましょう。

高校生   ああ、そうしよう。

ソクラテス (いかにも苦渋に満ちた声で)真についてはどうか。真理も、やはり、無い

  というのか。

通行人   (登場)どうかしたんですか?どこか、具合でも悪いんですか?

ソクラテス  真理をどこかで見かけませんでしたか?

通行人  (首をかしげる)

ソクラテス ここに来るまでに、どこかで真理を見かけませんでしたか?いろいろな物が

  私の目の前を通りすぎていくようです。だが、うすぼんやりとして、どうも、

  その対象がはっきりとしない。

通行人   貴方は、どこか、私か、本のなかで出会った人にどうも似ているようだ。

ソクラテス 私はソクラテスー

通行人  そう、ソクラテス。決して容貌のすっきりした人ではなかったが、はっきり言

  って不細工な人ではあったが、どこか人を和ませるところのある穏やかな

  顔つきをしていたっけ。そう、ソクラテス。懐かしい響きだなあ。

ソクラテス 貴方は真理というものを御存知か?

通行人   ああ、それだったんですね、一目会ったその時から、私が貴方に何か言い知れぬ共感を

  感じた訳は。実を言うと、私もそれを探していたところなんです。

ソクラテス それはまたどうして。

通行人  常識という言葉のなかに安住しすぎて、私たちはいかに多くの真実を見過ご

  してきたでしょう。その量を考えると恐ろしいくらいです・本当は非常識の

  うちにこそ真理を尋ね歩くべきなのに。

ソクラテス 貴方、ひょっとして変人?

通行人   いや、ソクラテスさんほどでは。貴方、長井先生が家賃を溜め過ぎてアパー

  トを追い出されたっていう噂をご存じ?

ソクラテス 噂のなかに真実が宿った試しはないよ。

通行人   私はコンピューターは好きだが、酒はいっこうにやりません。

ソクラテス  コンピーター?

通行人  ええ、コンピューター。

ソクラテス  コンピラ様なら、お池にはまって大変だぞ。

通行人  は、は、貴方は科学というものを御存じない。

ソクラテス 科学?

通行人  そう、私達のライフスタイルの一部始終にしみ込んでいて、生活を便利、

  かつ快適にしてくれるもんです。

ソクラテス ほう、そのコンピーターとやらと、マッチとはどっちが便利かね。

通行人  マッチ?

ソクラテス  そう、わしの友人の孫の遠い子孫にマッチ売りの少女がおったが、彼女を天国から見

  ていると、心がじんわり暖まったものだ。

通行人    今はもっと便利になって、(ライターを取り出し、点ける)

  ほら、こんな物がちまたに溢れているんです。・・・ 

  人間は、ほかならぬ文明の進歩のなかにこそ幸福が宿るという幻想を抱いて、懸命になって努

  力を積み重ねてきたのです。つまり、進歩こそ真理なのです。

ソクラテス (後ろを向いて大きく首を振る)

通行人    車に乗れば、遠くにだっていけるし、電話を使えば、遠くの人とも話ができるし、ス

  ポイトで種を蒔けば、子供だって作れるんです。

ソクラテス おしまいだ!

通行人   えっ?

ソクラテス おしまいだよ。

通行人   どうして?

ソクラテス 現代社会に殺戮が増えているというようなことはないかね?

通行人   それは、まあ、おっしゃるとおりですが。

ソクラテス 心が病んでいるんだ。

通行人   それだったら、言いますが、過去にはずうっと戦争というものがあったのです。あの、

  おぞましい大量殺戮が。

ソクラテス  ああ、戦争はギリシャの世界でもあったとも。一言言っておこう。決して戦争を美化

  するつもりはないが、あれにはあれで、民族自決という大義名分があった。しかし・・・

通行人    しかし?

ソクラテス しかし、現代には、イデアの片鱗すらない。

(少し、考える風をして)美?まだ、美があった・この濁世にはたして美を

  見い出すことはできるだろうか?

通行人   (ためらうように)美を求めるとなると、それは、難しい。

ソクラテス  だが、わしは、それこそを見てみたい。

通行人   そうですね、あっ、あそこに人がいるから、ちょこっと訊いてみましょう。

C     (舞台から現われる)

通行人    もし、少しお伺いしたいのですが、

C     はっ?いったい、なんでしょう。

通行人    この辺りで何か美しいものを見掛けなかったでしょうか?

C        (思わず、問い返す) はあっ?

通行人   美しいものを見掛けなかったでしょうか?

C     貴方がたは二人して変人?それとも狂人? 私はあこがれのサッカー部のマネ

  ―ジャーをやってるからして、今は忙しいんです。(退場)

通行人   もし。

池辺さん  なんですか?

通行人   美しいものが落ちてはいませんでしたか?

池辺さん いや、私は進路室に用事があるんです。それじや、急ぎますから、(手を振っ

  て足早に去る。また、戻ってきて)

  あっ、化粧をした女子高生ならそこにいましたよ。そんな美で良かったら、

  ちまたに転がってますよ。( ふたたび退場)

(*当日はこの部分の台詞に池辺先生の即興が入りどう対応していいか分か

  らなくなった大石先生ともども愉快な場面が成立した。)

ソクラテス どうも、現代の人々は忙しすぎて、何か大切なものを見失っているようだ。

通行人    あっ、また、人が来た。あの人にも訊いてみよう。

通行人    もし。

D      はい、なんでしょう。

通行人    私達は美を尋ね歩いているのです。

D     貴方はもしかして、あの、あの伝説的なコメットさんパート2 の隠れファン

  ではありませんか?

E     あまり大きな声では言えないんですが、実は、僕は、いまでも大庭久美子の

  ファンなんです。

ソクラテス (うずくまった体勢からやにわに起き上がり)慰めよ、あれ!

E     それとも川島直美タイプ?

D     狛江高校の生徒みたいに楽しくやればいいじゃないですか。たまには馬鹿になって。

ソクラテス 私の心はいまだに満たされない。慰めよ、あれ。

E     私の友人に、陶芸を試みて、もう十年というもの山に閉じこもったまま街に

  出てこない人間がおります。そんな人間と語ることが、もしや何かの参考に

  なるやもしれません。もし、お望みなら、ご案内さしあげても良いが。

ソクラテス それは、是非、お願いしたい。

E     しかし、そこは、ここより遥かに空間を隔てた所にあります。それでもいいですか?

  ソクラテス 構いませんとも。美を目のあたりにできるなら私は労力を惜しまない。それ   

  にアテナイにいたときには、真理を求めて日夜歩き続けていましたからね。はっ、はっ、は

  っ。

E     ところで、彼に会うためにはさらに重要な条件がいるのです。

ソクラテス それは何か。

E     なによりも、貴方自身が孤独のうちに埋没し、したがって、純粋にならなければなりま

  せん。

ソクラテス はっ、はっ、はっ。貴方は私に人間になれと言っておるんだね。

E     そのとおりです。人間そのもののために、つまりは芸術そのもののために、

  なによりも孤独が必要なのです。

ソクラテス とにかく会ってみることにしよう。

E     それでは行きましょう。

(E.ソクラテス、左奥に退場)

(ソクラテス、E、左奥から右奥へと通り過ぎる。ソクラテス手にランプをもつ)

(両者、右奥から出てきて)

ソクラテス まだかね。

E ええ、本物に出会うためには時間の成熟が必要なのです。

(左奥へ退場)

陶芸家 (うっそうとした格好をして登場)ああ、澄み渡った空に雲雀が鳴いている

……私はここに来て、もう何年になるだろう。

だが時は去りゆくばかりで、私に満足な作品を創らせてはくれぬ。

E   (遠くから)やあ。

陶芸家 (手を耳に当で、空耳かどうか不思議がる)何か聞こえたようだったが。

E    私だよ。

陶芸家  ああ、君か。( 握手を求める)

E    なつかしいね。

陶芸家   そうだね。そちらは?

E     ええ、ちょっとした私の知り合いでね。今、美しいものを尋ねておられるところだ。

陶芸家   どうして、ランプなどをお持ちなのか?今は、真っ昼間だというのに。

ソクラテス ワシは人間を探しておるのじゃ。

陶芸家   だったら、ここを通り過ぎるが良いでしょう。ここには人間はおりません。

ソクラテス 貴方は?

陶芸家    私ですか?( 手を自分の胸に当てる) 私は、自分が人間であることをとうの昔に忘

  れてしまった者です。

ソクラテス それは、また、どうして。

陶芸家    (自分を説得するように)自分の利益をまず考えるものが、人間の肉体には宿ってお

  る。とするならば、心を満たすために、どうして人は人間であることに耐えられるでしょう。

ソクラテス   それこそ私の求めている人間じゃよ。貴方は世間の人とはどこか違うようだ。

陶芸家     はっはっ。貴方がもしそうお感じになるとするなら、それは私が、長い間、人里離

  れて住んできたからでしょう。

ソクラテス  いや、きっとそれだけではないはずだ。

陶芸家     それは大変な買いかぶりというものです。ほら、この作品を観てください。ここに

  は良い作品というものに執着している私という俗物がいる。私は、どうしても人間というもの

  を止めることができないでいるのです。

ソクラテス 真の理解のために言葉を弄する必要はない。

陶芸家  ( 舞台から一度立ち去り、陶芸品を手にして再登場)

  善い作品というものはこうして手に取れば自ら語りだすものです。ところが、

  たとえばこれは私の前で沈黙を保つばかり。世界が開かれない憂鬱のなかで

  私はもう十年というもの、ここで陶器と対話を試みてきたのです。

ソクラテス 残念ながら、私には陶芸の価値は分からない。

陶芸家   はっ、はっ、はっ、専門的に従事している私か駄作だと言っているんだから

  間違いはなかろうというものです。

ソクラテス  貴方に言いたいことがある。

陶芸家   (ソクラテスの方を振り向き、様子をうかがう)

ソクラテス たとえ、その作品が貴方の言うようにつまらないものであったとしても・・・。

陶芸家   だって、実際、そうなんですから。

ソクラテス 貴方が、今、そうして、丹精を込めて作った作品を持っているその姿を鏡で

  ご覧になったことがありますか?

陶芸家   さても、私は山に隠遁してからというもの、自分の姿さえ、はたしてどんな

  風をしていたかさえ忘れてしまいました。

ソクラテス  光りを放っている。

陶芸家   えっ?

ソクラテス  陶芸品をもつその姿に欲は覗いていない。

陶芸家   そんなことは、自分で意識したこともないが。

ソクラテス  ありがとう。私は、今こそ、美を見せてもらった。貴方に感謝する。

陶芸家   そんな。

ソクラテス こんな世相においても、片隅には人の心が根づいておった。温かさは失われ

  てはいなかった。

陶芸家    貴方のおっしゃるところの美とは何なのか、伺いたい。私自身への問いとして。

ソクラテス  つまり、それは、こういうことじゃよ。実在するものはいつかは崩れる。

  だとしたら、どうして、美そのものが同時に形を伴うものとして存在できるというのか。完全

  な美とは、もはや、永遠でなければならない。私は今こそ言おう。美はそれを精神的なものと

  して追い求める人の心のうちにこそ宿るのだと。 

陶芸家   貴方を、もっと、見てみたくなりました。

ソクラテス 貴方の作品を作ろうとする尊い心。そのうちにこそ美は住み込むのだ。 ・‘

陶芸家    そんなものでしょうか。

ソクラテス  ついでに、貴方に言っておこう。真理も、やはり、人間社会には育たないのだと。そ

  れを希求する謙虚な姿勢のうちにこそ宿るのだと。自らを振り返れ。自分に忠実であれ。自己

  にたいして真摯であれ。そうすれば凡ては見えてくるものだ。

陶芸家    私のこの十年は、決して無意味ではなかったということですね。

ソクラテス そうだとも。真面目に生きている人に無意味という言葉など馴染まない。

陶芸家  貴方の言葉を心で聞くために、長い間、時間を費やしてきたような気がしま

  す。

ソクラテス 私たちの間にフィリア、つまり、真の意味での友愛が芽ばえたのです。

陶芸家   貴方にお願いがあります。

ソクラテス なんですか?

陶芸家   これから、ここに滞在して私の話友達になってほしい。

ソクラテス いや、美を受容するためには心が常に澄んでいなければなりません。私かこ

  こに滞在することは、かえって、美を追い求める貴方の心を損なうことにな

  るでしょう。親しすぎるところからは何も生れません。

E     そう、真の芸術のために孤独こそ糧だと言ったのは他ならぬ君ではないか。

陶芸家 (ソクラテスに哀願しながら) では、いま暫くでも。

ソクラテス いや、わしはそろそろハデスの国に帰らなければならぬ。ありがとう。現世

  もまた楽しかったよ。・・・最後にもう一度繰り返しておくが、真実を求める

  心、それを間違っても失わんことだ。そういう姿勢を失わなければ、道徳は

  自然と身に付いてくるものだ。それではご機嫌よう。わっ、、はっ、はっ、い

  やはや、久々に愉快だったわい。

(ソクラテス退場)  

                                  幕                      


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