死にゆく教育


死にゆく教育

最近のこと、職場で、東南アジアから入植した生徒が、体育の授業で運動を得意としない生徒にいら立ち、「帰れ!障害者」と叫ぶということがありました。

 差別やイジメに類する問題は、本来、何が問題かということを加害者が気づくまで切々と話し込まなければなりません。自らの生き方に満たされていれば他者を蔑むこともないのですが、社会で生きているとどうしても他者の在り方がきになります。また、もしかしたら、差別する者が差別に苦しんでいたという事情もあるやもしれません。

職員会議ではこの発言が議題となりました。しかし、あまり深い議論もないなか、すでに退職し、再任用期間中の副校長は「校長訓戒だ」と結論を出します。すると、すかさず、それまで司会をしていた生徒部主任が「やはり学校の代表が訓戒するという重みを・・・」と同調します。平教員は勤評を恐れ、初めから監理職の意見に対しては何も言いません。 以前、職員会議といえば、どうすれば当該生徒に問題の本質に気づかせられるものか、どういう指導がもっとも適切か、長い時間をかけて議論したものでした。

最近、神戸で教員間のイジメ事件が起きました。首謀者の女性教員は学校長の顔色を見ながら好き勝手をしていたようです。職員室が民主的であれば、このような事件は起こらなかったはずです。職場は管理職の人間性と器が大きく影響します。


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