釈迦が教える、たった一つのこと


釈迦が教える、たった一つのこと

釈迦が六年に及ぶ鎮座を経て悟ったことは、

ただ、一つ、

事実をありのままに受け入れる、

ということである。

その文意は平易で、

決して難しいものではないが、

しかし、生きるという実際的視点に立つとき、

なかなか容易ではないことに気づかされる。

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たとえば、人間六十ともなれば、

白髪の一本でもあるというものだが、

女性はたいてい美しい黒髪をなびかせている。

婦人を例えにして申し訳ないが、

かく言う私も例外ではない。

色気を失うことは活力の喪失ともなりかねないので、

批判すべきことでもないが、

しかし、それは老いという事実を受け入れていないということでもある。

事実を受け入れるということ、

勇気が要ることだが、

そこには無理のない美しさが宿っている。

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事実とは、何か、いかに受け入れられるか、

そうした問いに応えた

数多の仏教経典は恵みである。

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現役で仕事をしていたときときにテニスをする機会があって、

負けるということは滅多になかった。

たまに負けても、負け続けるということはなかった。

ところが、最近、オフを通して、

一度も勝てないということが珍しくなくなった。

上手な人を相手にしているということもあるのだろうが、

こんなはずではないと、

悔しさがこみ上げる。

太陽が眩しくて思うようにサーブが打てない、

身体がコートに馴染めず波に乗ることができない、

ゆるく打って、ミスをひたすら待つような対戦者のテニスが悪い、

挙句の果てに、

実力では勝っていると思えるのに、

負けが込んでくると、

相手チームにあっては巧みな御仁が、

此方チームとなったとたんにミスを連発するように見えたりする、等々

いろいろ原因を考え、

自らを慰めようと方便を重ねる。

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そんなことに悶々とした挙句、

先日、明らかに上手(うわて)使いの婦人にメールを発信した。

思いのほか、下手くそでご迷惑をかけました

すると、なんだか、もやもやが晴れて、

少しだけ心が軽くなったような気がした。

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瞋恚(怒り)もそれとして受け入れなければならない

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日本で徳目とされている「我慢」とは、

本来、慢心して盲目となった状態を意味している。

自己肯定感は必要だが、 色をもって眺むれば、事実はその色に染まる。

大切なのは心を無色にして事実と向き合い、

そして、受け入れること。

自然の摂理と恵みに感謝しながら、

無心に為すべきことを為している人は美しい。

私が人生を営むのではない。

人生が人生を営む、のだ。

                     2022,02,08


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