街歩きの愉しみ(高田馬場Ⅱ)
若者は未来に生き、老人は過去を思慕する、という
しかし、若者が希望を持てなければ、そこに未来はないし、
たとえ老人であっても、夢を抱くことができれば、そこに希望はある
若者には時間がある、
均しく、老人には時間がある、
「現在」は至る所にあり、
しかも、「現在」しかないのだから
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ある一年、
高田馬場は、私にとって、
希望、 そして、不安の街だった
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現役での大学受験に失敗し、
駅近くの予備校に通うことになった
家に負担はかけたくなかったので、自宅学習を考えていたが、
母親はそれを認めなかった
達見であった
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当初、午前で終了してしまう授業のあとで、
帰宅することが空しかった
世間が脈々と活動の血を流しているときに
閑散とした電車で帰途に就き、
自室に籠(こも)ると、
そこが廃墟に見えた
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まもなく、予備校からほど近い場所に図書館を見つけ、
そこで世間が活動を停止するまでの時を
過ごすことに決めた
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校舎脇には予備校生相手のそば屋があった
初めは、そこで昼を済ませていたが、
そうした合間にも図書館から空席が消えてしまうことに気づき、
授業終了とともに馳せ参じることにした
弁当を持参して食堂で蝕む私に、
売店の女将は冷ややかな視線を投げた
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閉館となって、
高田馬場駅へと向かう途次、小さな川を越えると
そこにはいつも煌々と光を放っている喫茶店があった
その光を斜目に、何か月というものただただ通り過ぎていたが、
あるとき、その光がひときわ眩(まばゆ)く感じられた
誘惑に負けることに戸惑いもあったが、
たまには気休めも必要、
自ら、そう言い聞かせた
夜になってもTシャツが汗ばむ八月のことだった
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店に入るなり、
私は目を見開いた
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いずこの国の絵画でも見い出せそうにない、
テレビ画面の向こう側にも見い出せそうにない、
あらゆる美辞麗句を越えた美が、
そこにあった
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その日から、私は甘美に酔いしれる精神的酔客となった
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ドアノブを押す私の姿に、
もし、その表情に変化がなかったら、
ただの営業スマイルしかなかったら、
縁(よすが)となる色彩をもち始めた時という芳香に身を沈めることはなかったと、
私は、言い切る
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その時ごとに
浮かぶ笑顔の奥で、
その瞳には
「私」がくっきりと映っていた
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九月、
店にいつもの姿は無かった
代わって応対を受けた店員に、
私は、別れの宴として「ビール」と告げた
時のうつろいという残酷を感じながら、
私は、戸惑いの表情を浮かべた店員に少し苛立ちながら、
「B、E、E、R!」と繰り返した。
「ビィ、いー、?」
甘美な笑顔と困惑へと変わった表情は重ならない
職責を果たさない人に、穏やかを努めることは人間の器なのだろう、
しかし、私のなかで空いてしまった大きな穴に理性は欠片(かけら)ほどしか残っていなかった
「ビールです!」と、私は少しだけ声を荒げた
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やがて予備校での生活は終わった
最後に教室を後にしたとき、
階段の上から、一人の女性が私を見つめていた
教室のなかで、いつも目の届く所にいた娘(こ)だった
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高田馬場駅、
予備校に近い戸山口改札付近で降りたこともあって、
四十数年ぶりに校舎を訪ねてみたが、
そこに、それらしきものは無かった
それで13時ホールまで足を運び、
出入り口の向こう側で学生を出迎えている職員に校舎の現在について尋ねたが、
そんな昔の事など、と笑われるばかりだった
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図書館は、規模を縮小して下落合図書館と名前を改め、
小奇麗なものに変わっていた
「昔、ここは中央図書館ではなかったですか?」
肯(うべな)う若い男性職員に、
「四十年前、ここで受験勉強したんですけど、ずいぶん変わってしまったんですね」
と言葉を繋ぐと、
隣で、女性職員が満面の笑みを浮かべた
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大学に入学してから、ほどなく
私は、都内の喫茶店である女性と見(まみ)えた
口元からは、「覚えています」と
その人は、
津軽出身で、 立教大学に通う学生だった
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話は長くは弾まなかった
未だ会話への潤滑油の注ぎ方を知らない輩が
どのような命運を辿るのか、
そこに例外はない
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ひと夏の想いは
想い出としての、
苦い記憶となった
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その夏、 私は、そこに
ラスコーリニコフにとってのソーニャを、
津田にとっての清子を、
投影していた
再開のためのネジを回してみれば、
ごく普通の、ありふれた物語が奏でられるばかりだったが、
この小さな出来事は
決して
後悔はしないと決めた
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あるマンガに、
「ほんとの愛って、二度目のこと、なんだよね」
そんな台詞があった 大学生活も後半を迎えたとき、
その台詞が脳裏で響いた
人生を集約する一刹那というものがあるとすれば、
その時は、凡ての時と空間を含むに違いない
そんな点があるとすれば、
いったい、どんな色をしているのだろう
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※学部生のとき、ある東洋大学教授の論文に惹かれ、
あるとき、 その先生のゼミへの参加を申し出て、認められ、以後、九年間、白山に通うことになった。
私は、もともとは文学から始まった人間である
そんな視点で書き上げる哲学論文が哲学界で認められるはずもなく、
正規に通う大学院指導教授からは「好事家的なことは止めなさい」と言われた。
しかし、東洋大学は、そんな私を面白がってくれた。
あるとき、フッサールという哲学者の主題の一つである「生きた現在」について、ゼミでのレポートを命じられた。
時間は、それからの私の中心テーマとなるが、
私は、尊敬して止まない件の先生から人生の光さえ与えられた思いがした。
昨年、その応えとして「存在と時間」という小論を仕上げ、筑波大学の紀要に寄稿した。編集者から、また、同志社大学一回生の時の指導教授からは賛辞を受けたが、東洋大学の先生はわずか数か月前に亡くなっていたことを知り、残念でならなかった。
小論の趣旨は、一言で語れば「今という時はいずこにも無いが、しかし、あるゆる場所に存在する」というものである。
その基底にしたのは佛教学における有即無という思想で、
以前に書き上げた「存在と言葉」とともに、この論文で私は私のパラダイムを築いたと自負している。
前回、今回の日記はそうした着想に従って、思い立って、認(したた)めてみた
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