娘と私


娘と私

所在無い学校での過ごし方を思案したためか、

いつの頃からか娘は本の愛好家となった。

あるとき、ふとランドセルの横に投げ出してあった文庫文を見てみると、

「人間失格」とあった。

そう言えば、同じ題名のマンガだったかがあったはず、

そう思って、背表紙に視線を落としてみると、

太宰治とあった

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中学1年生のときだったか、

塾の帰り道、本屋に立ち寄って「正法眼蔵随聞記」という題された文庫本を買った。

しかし、自宅で改めて開いてみて、二度と手にすることはなかった。

幼い頃から姉が本に親しむ姿を見てきた私には、

読書は当為であり、本は人生の伴侶であるという強迫観念があった。

2年生になってカフカを開いてみたが、

さっぱり分からなかった。

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しかし、そうした試みは無駄にはならず、

高校生になって、大衆小説にのめり込み、

大学受験を前にして熱で寝込んだ時には、

寝床に「暗夜行路」を持ち込み、本物に触れたことの歓びに溢れた。

大学で哲学を専攻し、

学究生活に入ってからは「正法眼蔵」は欠かせないものとなった。

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本には読む時というものがあることを語ったとき、

娘は、「それしか無かった」と言い、また、

「それなら、どうして図書室にあるんだ」とも応えた。

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娘は保育園で深刻なイジメを受け、

しかし、それに挫けることもなく強く生きている。

つくづく立派だと思う。

娘は、今、小学六年生、

母親には反抗期に入ったようだが、

別居している私とうなづきあえる対話があるのは、

幼いながらに人との関係に苦患した背景があってのこととも想う。

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娘が私と同様の内省的な人間になるのか、

今は分かりようもないが、

ともかく力強く生きて欲しいと、そればかりを願う

子どもが大人になる過程を眺めるのは実に楽しいものだ。

               2021,02,20


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