川端康成と三島由紀夫
以前、東京新聞で梅原猛が、「三島由紀夫はノーベル賞を取れなかったから自殺し、川端康成氏はノーベル賞を取れたから自殺した」という趣旨のコラムを書いていた。
学生時代、明治から大正時代にかけて、自然主義、反自然主義、白樺派と文学の潮流があり、それからどのように受け継がれたのか、新感覚派と呼ばれた作品にも眼を通してみたいと思い、横光利一、有島武郎、川端康成と、何編か読んでみた。そして、感じたことは、文体に幾ばくか目新しいものはあったが、内容に物語以上のものがなく、一つの潮流と呼べるものほどのものは見いだせなかったということである。有名な『雪国』での書き出しにしても、一つのコピーとしてしか読めなかったのは私の感性の貧しさゆえであろうか。『みずうみ』はいただけなかった。
他方、三島由紀夫の小説には特異な文章が際立つ。たとえば、『豊饒の海』には穢れのない少女を描写しつつ「頬にふりかかった断髪のいさぎよい漆黒」という描写があるが、全体に形容詞の使い方には有り触れた日常性を超えて、新たな表現世界が立てられていると眼を見張った。
28歳、私は津軽の病院のうちにあった。方言がまったく理解できないことに驚き、会話が成り立たないことの孤独を感じ、『戦争と平和』を慰めとした。毎日、200頁以上を惜しみつつ読み進み、満ち足り、読み終えたときには文学はもう終わりにしてもよいと強く思った。それからは哲学書ばかりを読み漁ったが、40代になって、不思議に三島由紀夫は読めた。形容詞使いから新奇の涼風を浴びたことが読み飽きなかったことの大きな要因であった。三島は思想信条的には私と対極にあるが、氏の思想が作品には直截には投影されていなかったことも幸いした。一作品に右翼少年が粗暴を繰り返しながらも暗々裏に当局から是認されていることを誇らしげに語る場面があったが、決して押しつけがましいものではなかった。
たとえば、男色の世界を取り上げた作品があるなど、ノーベル賞選考委員がどのような印象を受けるのか疑問に思うところはあるが、少なくとも日本の一時代を為した特異な文学として川端よりはその受賞に相応しかったのではないかと思う。後に、川端が三島に受賞を譲るように強く要請していたことが明らかになった。自死にはそのことが少なからず影響していると推察する。
しかし、もし私が選考委員なら、安部公房を推挙すると思う。文体は文学の生命だが、それ以上に、読者に何を訴えるか、普遍的なものとしてのメッセージ性も問われると思う。
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