子が親を捨てる時代


子が親を捨てる時代/生きる意味

子どもの世話にはなりたくない。

シルバー世代のそんな声をよく聞く。

他ならぬ、私も。 と言いたいところだが、

私の場合、

そもそも望むことすら難しくなっているのだが…。

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つい先日、或る女性と懇意になった。

フランスで現地の男性とほぼ20年間の婚姻関係にあったが、

離婚に至り、一時帰国。

一か月後にはフランスに、最後の整理のために向かうと言う。

日本での、彼女の身寄りはただ両親のみ。

もし他国で永住することにでもなっていたら、

ご両親の最期は? お墓は? そんな私の問いに、

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墓終いをして、 自分たちは散骨と聞かされている、と。

そう言い放つ彼女は さばっとしていて、

まったく屈託がない。

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そんなことを言い残しながら、

異国へと飛び立っていった数週間後、

大事な人ができました、

と、メールが届いた。

どうやら惚れっぽい性格の人らしい、

私は微笑した。

仕合せになって欲しい。

ただ、そう思った。

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最後の勤務先となる職場で働いていたとき、

退職した独り身の男性が独り身の父を残し、

生活のためと、

フィリピンへと旅立っていった。

彼はその数年前に認知症となった母を亡くしていて、

生前、子として認識されなかったことにショックを受けていたことを鑑みれば、

決して不人情な人間ではなかった。

父子の関係がどのようなものであったか、

知る由もないが、

子が親を見放すというのは、

今日では決して珍しい現象ではないようだ。

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とくに問題を抱えているのでもなければ、

家族とは「仕合せ」の別名である。

以前は、看取られるということが日常の風景であったようだが、

現代は、自分の最期、

そして、後始末は自ら決めなければならないようだ。

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仕合せを求めるのは人の常だが、

幸福と生きる意味とは異なる。

むしろ、

不幸の中でこそ自らを支える意味が必要となるのだと思う。

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たとえば、家族を失ったとき、

人は初めて生きる意味を考えるのだと思う。

なぜなら、意味を付与してくれる者がいなくなるのだから。

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最近、孤独死という言葉をしばしば耳にするようになった。

そのなかでも自死を選ぶ人が少なくない。

愛情という幸福、

それに加えて生きる意味をも失ったとき、

人には絶望しか残されていないのだろうか。

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生を支える「言葉(意味)」の重さが、

そこにあるように思う。

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さて、私はどうしたものだろう。

私にはわずかに夢とライフワークがある。

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 生きることの意味は、思い込みで構わない、

なぜなら、 それは賛辞とは無縁のものであるから。

夢と希望、

それが失われない事、

その気力と意思が失われないこと、

そんなことを願うばかりだ。

              2021,10,10


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