偉人か、狂人か


偉人か、狂人か

世界史における英雄は、

アレクサンダー大王、ユリウス・カエサル、ナポレオン・ボナパルト

と、言われている。

いずれも侵略者である。 では、彼らは、

現代の侵略者、とくに独裁国家(註1)を牛耳る侵略者と、

どこか、違いはあるのだろうか。

偉人たちの蛮行は権力を背景とし、

あるいは、権力維持を目的とした

自国のための領土拡張だった。

ところが、偉人たちがそれを意図していたどうかは不明だが、

その行為は結果として歴史の要請に応えるものであり、

後世からの意味づけが可能であった。

アレクサンダーの世界征服は東西世界を結びつけ、

ギリシャ文化と東洋文化との出会いともなり、

ガンダーラ美術の基礎を築いた。

幼い頃にアリストテレスを家庭教師とした影響であるとされているが、

大王が新たな文化の形成を意図していたとは思われない。

ユリウス・カエサルはその後のヨーロッパ世界の下図を設計した。

侵略することだけがその権力を維持せしめたと言われるナポレオンの行動は、

当時勃興した市民階級の商業的野心を満たすために、

中世世界の自給自足体制を崩壊せしめ、

結果として近世社会を導き出したと考えられている。

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ヘーゲルは歴史の背後にそれを操る世界精神があると述べているが、

彼らの行為を「歴史」から鑑みるとき、

魔物のようなものに操られていたとでも言ってよいような錯覚を覚える。

それらの侵略は歴史を結果として進捗させたと言いえると思う。

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ところで、現代の侵略者が歴史を刻むことはあるのだろうか。

歴史の検証は後世の問いとはなるのだろうが、

現段階でその萌芽を見い出すことはできるだろうか。

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巨大な大地を支配するバーバリアンは、

自分だけの大義名分をかかげ、相手国、自国を問わず死体の山を築き上げている。

今のところ、

そこに正当な理念は見い出せない。

では、国際法を無視して東シナ海にさかんに侵略し、

自国の領土だと自分勝手に主張している傍若無人はどうだろうか。

中国は、古来、

まごころと思いやりを重んじる仁の国であり、

兼愛を尊重する国であり(註2)、

なによりもそれが東洋精神へと伸展する「無為自然」を教えとし、

時代を経ては律令による政治が行われた国であった。

しかし、共産主義を標榜する現在の体制に、

その片鱗は窺えない。

孔子が説いた仁愛を少しでも持ち合わせているなら、

チベット、ウイグルからは異なった顔色を窺えるはずである。

釈迦によって始められ、中国で育まれた仏教は慈悲を説く。

古代エジプト、ローマの賢人は異教徒を肯定することで平和を築いた。

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ところで、いずれにしても、

侵略者たちが残した歴史的教訓とは、

獲得した領土がそのままに保全されることはなく、

必ずその後で調整が働いたということである。

「歴史」は塗り替えられた国境を、

けっして、そのままとはしておかなかった。

「道は常に為す無くして、而も為さざるは無し。

候王若し能く之を守らば、万物将に自ら化せんとす」と言う(註3)。

政治は、たいていは権力であり、権威ではない。

権力が歪んでいれば、

間違いを犯す。

プラトンはソクラテスを処刑した現実に目まいを覚え、

政治を行うには哲学的な修養が必要であると説いた。

為政者は人生の経験を積んだ教養人でなければならない。

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北方四島は、日本をふるさととしている。

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「歴史」がこの領土に働きかけることはあるのだろうか

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註1,一般に共産主義国と言われているが、マルクスは資本家と労働者が共に生産に携わる平等、平和な社会を志したのであって、現在具現化している独裁国家は決して共産主義ではない。独裁主義国はときに民主主義、人権尊重の形態を取るが、実際は権力が一曲に集中する。カール・マルクスは頗る人間的な人であった。

註2,兼愛とは、すべての人が自分を愛するごとく他者を愛すれば、世の乱れはなくなるという墨子の思想。

註3,老子の無為自然を表現した言葉で、「道」はつねに何事もしない、だが、それによってなされないことはない。もし諸侯や国王たちがそれを保持したならば、あらゆる物は自然に変形するだろう、の意。

                                                       2022年06月01


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