現代美術に就いて


現代美術に就いて

メルロー・ポンティはセザンヌの「りんご」に人間がいる以前の風景があり、M.ハイデガーはゴッホの「靴」には農民の全生活が表現されていると語っている。

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美術については門外漢で、絵画を美学という視点に立って鑑賞することはできないが、言葉というフィルターを通して僅かにでも理解できないものかと向き合っている。

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東京都美術館企画でエゴン・シーレに魅せられたあと、芸大の買上げ展という美術展に立ち寄ってみた。そこで「時空の顕在化」と題された作品に眼が止まった。時間、空間と言えば、哲学にとっては大きな課題の一つなのだが、それを、どのように、この作品から読み解くことができるのか、それを作者はどのように理解し、解釈したのか、思いをめぐらした。係の人に尋ねてみれば、作品は教授によって推薦されるということだが、この作品はどのように評価されたのか、訊いてみたいという衝動を抑えることが出来なかった。時空とあれば何か意味ありげな様相を帯びるが、作品は、むしろ「鍾乳洞」とでも名づけた方がしっくりくるのではないかと訝った。

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以下は門外漢の記述とご容赦いただいて、・・・

写実画の時代、宗教画を除いて、カンバスには外界がそのまま写された。画家の技量によって産み出された絵はそれぞれに見ごたえがあるが、そうした画風にも飽きが来たのか、 画家の個人的心象を織り込んだ印象主義の時代へと移行し、さらに現代美術の世界へと受け継がれる。

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絵画世界を仏教思想に基づいて読み解くには無理があるかもしれないが、・・・

仏像の眼は半眼で掘られている。見開いてしまうと自分自身が見えなくなり、反対に閉じてしまうと迷いの世界へと陥ってしまう。半眼はその中間にあり、自己を見失うでもなく、自己に迷うでもない、調和の事態を表している。そうした見方を絵画世界に当てはめてみるなら、写実絵画は開眼の世界であり、印象主義は半眼の、・・・ということになるだろうか。現代美術は自己の内的世界を表現したものではないかと想像する。内的世界は意味の世界でもあり、作品(の理解)が名づけられた表題によって氷解するなら見事!となるのだろうが。

芸術はロゴスを基準とはしていないのだろうが、ロゴスによって調和は打ち立てられたという歴史的背景を鑑みるなら、絵画的調和もロゴスとは無縁ではないと思う。調和は確固としたものではなく、時として発生する不調和を肥しにしながら新たな調和的世界を築いてゆくものだと考える。新たに創られた調和が「表題」というロゴスと馴染むなら合点もいくというものだが、表題を一瞥しても、あるいは作品を言葉で説明されても理解できないというのでは不調和の域を脱していないのではないかと思ってしまう。

仏教が離言真如と語り、言葉を超えた所に希求した真の世界。願わくば、現代美術で語らずに語られているような作品と出会ってみたい。

2023,05,09


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