哲学と物理
「こころの時代」(NHK)で宗教学者の横山紘一氏と物理学者が対談をしていました。物理学者の発言のなかで興味深かったのは、物理学は言葉で表現できないもの、言葉の先にあるものを数字で表すといった内容のものでした。哲学は言葉以前の世界を希求します。また、佛教は不立文字といって、言葉を超えた世界に真理を求めます。科学と哲学、宗教とは研究方法は異なり表面的には対極する関係にありますが、両者とも言葉の領域を超えた世界を探究しているということを面白く思いました。
素朴な疑問として浮かぶのは、数字は決して物に代替できるものではないということです。物が有るとき、それを「1」として指示することはできますが、反対に「1」だけが与えられるとき、それによって何かが見えてくるわけではありません。たとえば、りんごとみかんは同じ物として見れば1+1=2かもしれませんが、もし数式だけ与えられるならそれは無限の関係において成り立ちます。そして、物理学者も物理は物について問うことはなく、ただ物と物との関係を問うのだと言うのです。であるとすれば、宇宙を表現できる公式がたとえ完成したとしても宇宙という実像が見えるわけではないということにはならないのでしょうか?数から物へはどのように還元されるのか、新たな疑問となりました。 物理とは、数式が実証されるまで完成されない学問のようです。
※横山先生とは、新田義弘先生のご紹介で以前お会いしたことがありました。お会いするなり、「ドイツ語で話そう、Wo?Wo?と問い詰められたのを懐かしい思いつつ番組を見ました。
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