文学の力
渋谷のバス停で一夜を過ごそうとしていた女性が突然殴打され、亡くなったという
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この事件を聞いて、アルベルト・カミュ『異邦人』を想い起した
主人公ムルソーはトラブルに巻き込まれ、アラブ人を殺してしまい、
その理由を太陽に帰す
裁判での死刑判決を決定づけたのは、誰も受け入れることのできない不条理だった
ムルソーは既成の価値を受け入れない
理性を歴史の支えとしてきた西洋社会にとって
「不条理」は、
ニーチェによる神の死の宣告と同じように受け入れ難かったに違いない
しかし、この不条理は、 それについて、まだ、語ることが可能である
それは不条理という条理であり、
理性によって到達可能な思考の範疇に属している
不条理という条理を、いかに考えるべきか、
読者が文学というフィルターを通して世界について思考をめぐらすこと、
それは文学が誘う珠玉の力だと思う
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しかし、渋谷の事件を想うとき、
思考がいかにアクセスできるのか、
カミュでさえ、驚愕し、戸惑うに違いない
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生活の利便性が謳歌し、 文化が希薄となり、
機械システムがフューラー(導き手)となり、
思考が必要とされなくなるとき、
考える人間としての存在理由は朽ちる、
のだろうか
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身障者を無意味であるとして殺戮を行う狂気に、
ラスコーリニコフ(「罪と罰」)が投げかけた問いは、
おそらく無力で、陳腐にさえ映る
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文学が手放され、 車中ではスマホが乱舞し、
思考力、他者への想像力が失われる
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不条理という条理さえ意味を失いつつある世界に
我々は生きている
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アファナシエフ(ピアニスト)は、共産主義世界では支配者が価値を決め、
資本主義社会では話題性によってそれが決まると、
いずれの社会においても本物が見失われていると嘆く
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思弁がエポケー(判断停止)され、 外へと眼差しを向けてみれば、 ただ力のない為政者の声だけが無意味に繰り返され、鳴り響く
2021,05,12
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