ある生徒のこと
もう20年にもなるだろうか、
当時担任をしていた生徒からメールが届いた。
もう20年にもなるだろうか、当時担任をしていた生徒からメールが届いた。 進学校を退学しての定時制課程への転入、
私の記述テストに残した文章は例外なく秀でていた。 けっして怠学が原因ではない稀有な出来事が腑に落ちなかった。
しばらくして、
生徒は、突然、授業中に失神を起こし、椅子から床へと崩れ落ちた。
緊張が頂点を越えたのか、
それからは同じことが毎日のように繰り返されるようになり、
そのたび、養護教諭と私は対応に追われた。
たいていは養護教諭の呼びかける声が教室に空しく響き、
タンカで保健室まで運び込むことに。
当初は救急車を呼び、
繰り返されてからは、そのつど保護者に引き取りを求めた。
月日を経て、生徒は通学さえ難しくなり、入院するに至った。 むそのとき、正直、心のどこかでホッとしてしまったことは、
否めない。
彼女が去って何年も経ってから、
「東洋経済」という雑誌の特集で彼女が対談に応えている記事を発見した。
医師にさせたい親の希望が過熱し、
小学生のころ、テストの点数が思わしくないと、
そのたび折檻を受けたという。
病院への見舞を最後に彼女のことは忘れてしまっていたが、
十数年を経て、はがきを整理していたときにその名前を発見し、
どうしているのか、気にかかり、こちらから年賀状を出した。
一度目はすぐに返事が来たが、
二度目は投函したままになっていた、
それからしばらくしてのメールである。
現在は再婚して地方都市に住み、通院生活、
車が必要な都市で、低体重のため動くこともままならない、
精神科通院のため月に一度は上京するものの、余力はない、
死ぬまでに、心に浮かぶ人に何度会えるかと思うことが増えた、とある。
嬉しいことに、私とは、一度と言わず、会って話がしたいと文面は結ばれていた。
メールを読んでいて、
なにより彼女を愛する男性が現れたことへの喜びが大きかった。
両親を恨むでもなく、死に至るまで会えることに100を数えることはないだろうとシタタめている。
怨憎会苦という言葉があるが、人間は自己愛から人を憎み、そして憎むことで苦しむが、 いつかは、すべてを受け入れ、感謝することを知る。
文面からは、
運命を受け入れることの大きさと強さを感じた。
私は自らの人生への思いから働く環境を選んだだけで、
決して褒められた教師ではなかった。
しかし、わずかでもこのような生徒の人生に寄り添えたことを心から幸福に思う。
早いうちに機会をみつけて、想いを伝えたい、
今はそんな気持ちで満たされている。
2020,11,23
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