小銭入れ
ここ数年愛用していた小銭入れ、
ファスナーから引手がこぼれ落ちた。
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いささか、想いが籠っていただけに、
何かが、ぷつんと断たれたような気がした。
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37歳の夏、
当時、教員の研修は広く認められていて、
私はフライブルク大学の夏期講習に参加した。
哲学ゼミと語学講座に登録し、
当初はゼミ講座に出席していたものの、
次第に人との繋がりが欲しくなり、
関心は語学教室へと移っていった。
予想に違わず、
教室には参加者の間に、
一方的ではない会話があった。
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その教室にcarmen sessaという名の、
イタリアからの大学生がいた。
長身、細身で目鼻立ちのすっきり整った、
綺麗な女性だった。
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互いがほどほどに既知となったある日の授業で、
講師は出席者の一人ひとりに、
任意の人物を指名し、問答をするように提案した。
大半が終わって、カルメンの番となったとき、
彼女は私を指名した。
「Es gibt einen Mensch,der nicht einmal gerufen wurde.(未だぜんぜん当たっていない人がいる)」
私はそう言って指名をいったんは跳ね除け、一人の男性に視線を投げた。
このような企画で指名を受けないことの孤立感は痛いほど理解できた。
ところが、彼女は聞く耳を持たなかった。
「Nein,Nein,Du!(いや、いや、君だ!)」
西洋社会が尊敬に値することの一つに「平等」への姿勢がある。
およそ二十代ばかりが集う講座に参加して、
私は、歳上ではなく、 対等の輩として見做されていたことに感謝し、
また、温かいものを感じていた。
彼女がSie(貴方)ではなく、du(君)を選んだことは、その証左だった。
「Was möchtest du in Zukunft tun?(将来は何をしたいのか?)」
私は、ふざけ半分に、しかし、世界平和を願う気持ちがあって、
「ich möchte Präsident in USA werden.」と応えた。
講師は呆れていた。
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それから暫くして、彼女からパーティへの誘いを受けた。
教室の参加者の間で企画されたものだと思って応じたら、
同席していたのは、イタリア人ばかりで正直面食らった。
イタリア語ばかりで飛び交うなかで、
居場所を失っていたら、
まったく未知の男性から 「何か知っているイタリア語はあるか」と尋ねられた。
一語とて知る由もなかったが、
場所を与えられたことで救われた気持ちになり、
「クラウディア・カルディナーレ」と応じ、
また、 「ソフィア・ローレン」と付加して、
かろうじて笑いを誘うことができた。
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私はようやく彼女の気持ちに気づき、
その翌日だったか、
キャンパスの真ん中で、
彼女を見つけて、
「カルメン」と呼び掛け、
正面から、彼女の手を胸元で強く握った。
神妙な面持ちがそこにあった。
しばらくの沈黙があり、
時が止まったかのように感じた。
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帰国して何年も経った頃、
電話が鳴った。
見覚えのない外国人からのもので、
渡したいものがある、という話だった。
言われるままに、日暮里まで
外国人向けのリーズナブルな民宿に赴くと、
小さな紙袋を手渡された。
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家に戻って、 拡げてみると、
そこには、小さな木箱の中に小銭入れがあった。
カルメンから、だった。
私はすぐに彼女に御礼の手紙を送った。
しかし、
返事が届くことは無かった。
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財布を使うことは惜しまれ、
長い間、手にすることは無かった。
しかし、六十の齢を経たころ、心境に変化が生じた。
使い始め、
そして会計で手にするたびに、
当時の事が懐かしく想い出された。
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フライブルクにあって、
カルメンに特別な感情は抱かなかった。
しかし、手紙を書いているとき、
私は私のなかに、
彼女への思慕の念があることに気づかされた。
そして、このアフェアを通して、
カルメンという一個の女性の、
その幕の降ろし方に完敗の念が募った。
いかにも素敵で、
あまつさえ、見事だと思った。
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今は那辺で、いかように生活していることだろう。
仕合わせに生きているだろうか。。。
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※昨今、教師の受難が報じられている。
世の右傾化保守化に伴って、労働組合は弱体となり、
それと比例して、教師から人権が奪われ、
労働から歓びは失われた。
昨今の教師不足は為政者が招いた罪業である。
それと比べると、少しはおおらかな世相にあって
私は、いかにも恵まれていたように思う。
教師の研修が自由でなければ、人間の幅が拡がることはなく、
また、授業に深みが産まれることもない。
本来の民主主義とは個人を尊重することにある。
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違いを認めること、
それが出来ない人はあまりにも小さい。
そして、そんな輩が権勢をふるう国家は不幸であるに違いない。
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29,Nov.,2023
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